コレクション: 松原 直之
栃木県益子
- 陶器
― 栃木・益子の土に生きた陶芸家 ―
栃木県益子町の里山に窯を構え、
生涯を通して陶芸と向き合い続けた、松原直之さん。
2024年、静かにその生涯を閉じられましたが、
今もなお、その作品は益子の風景の一部として語り継がれています。
近代モダン工芸を修行した益子の陶芸家
焼き物をはじめたきっかけは、
「粘土の塊が形になるのが、不思議だったから」。
その純粋な好奇心こそが、松原さんの原点でした。
若き日、益子の陶芸家・木村一郎氏に師事。
木村氏の紹介で京都・前衛陶芸の巨匠・八木一夫氏のもとで三年間の修行を積みます。
京都では線象嵌や、当時秘技とされていた黒陶の磨きなど、
現代陶芸の新しい潮流に直に触れ、経験を重ねました。
その後、益子に戻り築窯。土と火の息づくこの地で、
学んだすべてを自らの感性で溶かし込み、独自の作風を育てていきます。
29歳のとき、師の木村一郎氏はこう評しています。
「近代モダン工芸の世界を修行してきた益子でただ一人の陶芸家。
一見して驚かすような仕事は無いが、よく見れば見るほど素直な“延び”や“大きさ”が感じられる。」
その言葉の通り、松原さんの作品には声高な主張はありません。
ただ、見つめるほどに奥行きがあり、
日々の暮らしに静かな安心感をもたらしてくれる力があります。
師の木村一郎氏は、民藝運動の流れを汲む濱田庄司に影響を受け、
河井寛次郎の作陶を手伝うなど、豪放磊落で自由闊達な作風で知られました。
その流れを受け継ぎつつも、松原さんはより静謐で誠実な表現へと歩を進め、
“民藝の地・益子”に新たな息吹をもたらした陶芸家といえるでしょう。
松原さんの作品には、里山の風景が彩る

松原さんの器には、里山の自然——草木、土、空——が静かに息づいています。
絵付けや象嵌を用い、日々の景色をそっと写し取るように描かれる文様。
益子の土や釉薬に白土を重ね、白地の美しさを生かす表現には、
光や風までも閉じ込めたような、やわらかな清らかさがあります。
並白釉を還元して焼き締める、独自スタイル

焼成には、益子では当時珍しかった還元焼成を用いました。
多くの燃料を必要とする焼き方で、決して効率的とは言えません。
けれども松原さんはその手法を貫き、
地釉(並白釉)を還元して焼き締めることで、自らの個性を確立していきました。
重みのある器体の中に、穏やかな気配と凛とした美しさが宿ります。
土に触れ、火を見つめ、自然と語り合うようにして生まれた松原さんのうつわ。
そこには、益子という土地そのものの穏やかさと、
ひとりの陶芸家のまっすぐな眼差しが、今も確かに息づいています。
プロフィール
作品一覧
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