コレクション: 田尾 明子

栃木県益子

  • 陶器

- 土と色に寄り添い、暮らしに息づく器 -

広島県出身の陶芸家・田尾明子さん。
手にすっと馴染むやわらかなフォルムと、土ものならではの質感、
そして深く優しい色合いが印象的です。

 

【店主・水野の初めての「作家物」】

実は、d.Agora Store 店主である私・水野が、
人生で初めて「自分で買った作家ものの器」が田尾さんの作品でした。
初めて手に取ったときの、あのしっくりと掌に収まる感覚と、
静かに寄り添うような色合いは、今でも忘れられません。
それが、器の世界に深く魅了されていく最初の一歩だったように思います。

 

【田尾さんが「土と色」に惹かれた原点】

学生時代に染色を学び、自然素材から色を作り出す感性が磨かれた田尾さん。
その後、砥部と益子で修行を重ね、
土や灰、草木を使った釉薬づくりへと自然につながっていきました。

奔放でありながら品のある成形、
釉薬のにじみや揺らぎが生むあたたかな表情。
長い年月で培った技術と感性が、
田尾さんの器の奥行きをつくっているのではないでしょうか。

 

【食卓に寄り添う、田尾さんの器】

田尾さんの器は、日常で使われることでその美しさがより引き立ちます。
和洋中どんな料理にもそっと寄り添い、
食卓に温かな彩りを添えてくれます。

「私は茶碗やだから」と笑いながら、
ご自身のペースを崩さず、淡々と器を引き続ける田尾さん。
その自然体のものづくりは、暮らしと共にある美しさを教えてくれます。

 

日々の暮らしにそっと寄り添う田尾さんの器を、どうぞご覧ください。

プロフィール

1985年|愛媛県砥部にて修行

1992年|益子にて修行

1996年|益子にて築窯、独立
|第1回益子陶芸展 入選
|(以降2000年・02年・04年・06年入選)

2000年|第2回現代茶陶展 銀賞
|(2002年入選)

2008年|第7回益子陶芸展 審査員特別賞

2009年|イギリスV&A美術館「相似違彩片口大鉢」お買い上げ

作品一覧

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