Collections
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加守田 太郎
― 手びねりで紡ぐ、やわらかさと凛の調和 ― 栃木県・益子の里山に窯を構える陶芸家、加守田太郎さん。工房に並ぶ器を手に取ると、まずその形のやわらかさに目を奪われます。 丸みを帯びた“ぼってり”としたフォルムに、どこか凛とした幾何学模様。一見、相反するように見える組み合わせを、太郎さんは筆で塗られた釉薬の濃淡によって、見事に調和させます。同じ形、同じ模様であっても、それぞれが異なる表情を見せるのは、そのにじみや揺らぎが生み出す“個性”ゆえでしょう。 作陶スタイルは、はじめから一貫して「手びねり」 父である加守田章二氏――“異才・鬼才”と称され、今なお多くの陶芸家に影響を与え続ける作家――の手法を受け継ぎながら、太郎さんは自然体で、自分の作陶スタイルを築いてきました。 気負うことなく、淡々と、楽しみながら作り続けてきた日々。その積み重ねが、太郎さんの器にある穏やかな魅力を育てています。 手に持つと、どこか安心する重み。口にあてると、やわらかく感じる飲み口。使うたびに「この器でよかった」と思わせてくれる、そんなうつわです。
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加藤 喜道
栃木県高根沢町を拠点に活動する、陶芸家・加藤喜道さん。一つひとつ丹念に描かれた赤絵の器は、細やかな模様を持ちながらも、料理や食卓にすっと馴染む佇まいを見せます。穏やかな語り口の奥に、探究心と静かな挑戦心を秘めた作り手です。 暮らしの中で、使われるための器 加藤さんの器づくりの根底にあるのは、「暮らしの中で使われること」へのまなざしです。器は飾り物ではなく、料理と出会い、人がいて初めて完成するもの。食卓という景色の中で、静かに役割を果たす存在でありたい——そんな考えが、作品の随所ににじみます。 ひとりの食卓であっても、自分自身を思いながら整えることで、その場は豊かな時間になる。器は、人と人の間に置かれるものであり、想いを受け止める道具なのだと、加藤さんは考えています。 赤絵がつくる、日常の「ハレ」 赤絵の器には、「ハレの日」という印象があります。けれど加藤さんは、特別な日に限らず、日常の中で使うことで、いつもの一日が少しだけ「ハレ」に変わると語ります。 好きな器や服、音楽など、自分の好きなものが身のまわりにあるだけで、もうすでにハレの日。加藤さんの赤絵は、そんな日常の感覚にそっと寄り添い、食卓を静かに彩ります。 決めすぎず、探し続けるという姿勢 模様や色、形に、あらかじめ決めた型は設けていません。昔の陶器や着物、街角で見つけた模様などをきっかけに、「面白い」と感じたものを描き続けるうちに、それらは少しずつ自分の模様へと変わっていきます。...
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宮本 博
― 伝統に息を吹き込み、清水焼の未来を紡ぐ ― 京都・山科の清水焼団地に窯を構える陶芸家・宮本博さん。確かな技術と常に挑戦を続ける作家心で、京焼の伝統を守りながらも新しい息を吹き込むように、日々の作陶を続けています。 60代後半の今も、大壺や大鉢を軽やかに引ける熟達した技術、そして「本物」を追求する探究心を原動力に、自身の作品制作だけでなく、過去名作の復刻や、他者との共同プロジェクトにも積極的に取り組み続けています。 Reborn 乾山「写し」シリーズ 2004年には、MIHO MUSEUM(滋賀県)で開催された特別展の企画「乾山への挑戦」に参加し、江戸期の名陶・尾形乾山の作品の「写し」に挑戦。長年、本物を見続けてきた学芸員から「質量まで本歌に近づくほど」と評されたその観察眼と再現力は、職人としての鍛錬と、作家としての探究を両立してきた宮本さんだからこそ到達できた境地といえます。 書道家や和歌研究者との共同制作にも意欲的...
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村澤 享
― 伝統の火を受け継ぎ、現代に寄り添う ― 栃木県・益子の地で、伝統釉薬の研究と日々の作陶を続ける陶芸家・村澤享さん。益子焼の老舗「村澤陶苑」の五代目として、代々受け継がれてきた土と炎の仕事を担っています。 【登り窯が教えてくれること】 村澤陶苑に残る大きな登り窯は、明治33年に初代が築いたもの。幅5メートル、長さ18メートルにも及ぶ窯で、最盛期には年に4回焚かれ、益子の焼き物の文化を支えてきました。 その大窯も、2011年の東日本大震災で大きな被害を受けましたが、村澤さんは、「登り窯で焼くことを、益子に残したい」という思いを胸に、瓦礫となった土や窯の一部を活かしながら、新しい窯を自ら築き上げました。 いまも機会をつくっては登り窯に火を入れ、伝統の息づく時間を大切にしています。 【伝統と現代の間にある、美しいバランス】 村澤さんのうつわには、益子の土がもたらす穏やかな質感と、伝統釉薬が生む深みのある色合いが静かに息づいています。 一方で、形やサイズ感、そして耐久性には現代の暮らしへの視点を丁寧に落とし込み、「毎日安心して使えること」「手にしたときに心が和らぐこと」を大切に制作されています。 ...
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松原 直之
― 栃木・益子の土に生きた陶芸家 ― 栃木県益子町の里山に窯を構え、生涯を通して陶芸と向き合い続けた、松原直之さん。2024年、静かにその生涯を閉じられましたが、今もなお、その作品は益子の風景の一部として語り継がれています。 近代モダン工芸を修行した益子の陶芸家 焼き物をはじめたきっかけは、「粘土の塊が形になるのが、不思議だったから」。その純粋な好奇心こそが、松原さんの原点でした。 若き日、益子の陶芸家・木村一郎氏に師事。木村氏の紹介で京都・前衛陶芸の巨匠・八木一夫氏のもとで三年間の修行を積みます。京都では線象嵌や、当時秘技とされていた黒陶の磨きなど、現代陶芸の新しい潮流に直に触れ、経験を重ねました。その後、益子に戻り築窯。土と火の息づくこの地で、学んだすべてを自らの感性で溶かし込み、独自の作風を育てていきます。 29歳のとき、師の木村一郎氏はこう評しています。 「近代モダン工芸の世界を修行してきた益子でただ一人の陶芸家。一見して驚かすような仕事は無いが、よく見れば見るほど素直な“延び”や“大きさ”が感じられる。」 その言葉の通り、松原さんの作品には声高な主張はありません。ただ、見つめるほどに奥行きがあり、日々の暮らしに静かな安心感をもたらしてくれる力があります。 師の木村一郎氏は、民藝運動の流れを汲む濱田庄司に影響を受け、河井寛次郎の作陶を手伝うなど、豪放磊落で自由闊達な作風で知られました。...
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田尾 明子
- 土と色に寄り添い、暮らしに息づく器 - 広島県出身の陶芸家・田尾明子さん。手にすっと馴染むやわらかなフォルムと、土ものならではの質感、そして深く優しい色合いが印象的です。 【店主・水野の初めての「作家物」】 実は、d.Agora Store 店主である私・水野が、人生で初めて「自分で買った作家ものの器」が田尾さんの作品でした。初めて手に取ったときの、あのしっくりと掌に収まる感覚と、静かに寄り添うような色合いは、今でも忘れられません。それが、器の世界に深く魅了されていく最初の一歩だったように思います。 【田尾さんが「土と色」に惹かれた原点】 学生時代に染色を学び、自然素材から色を作り出す感性が磨かれた田尾さん。その後、砥部と益子で修行を重ね、土や灰、草木を使った釉薬づくりへと自然につながっていきました。...